私たちが卒業後、川中には54年の歳月が経過した。川中の今の航空写真を見ると、元運動場の位置に校舎が新築。川中の沿革史によると、平成17年 (2005年) に新校舎へ移転となっている。さらに沿革史によると、私たちが入学した昭和42年 (1967年) に本館が落成。本館と言うのは私たちが2年生になって入った建物のことだが、当時新築だったこの本館は、38年の寿命だったことになる。鉄筋の校舎は30年を経過すると維持費がかさみ、それでも直しながら60年は使用可能と聞いている。それに比べると、本館の寿命が短いのは何故だろう? 昭和29年から48年が高度経済成長期といわれる。このための安普請だったのか。その後、平成22年 (2010年) に北陵中学校と統合しているが、今年の卒業生は16名とのこと。1970年当時の私たちの学年は90名だったので、随分と過疎化が進んだものだ。
私見として、この種の過疎化にはそろそろ歯止めがかかるのではないかと考える。何故なら、物理的に人が移動せずとも、オンラインで会議が完了することを私たちはコロナ禍で学んだ。その他の業務も、大体オンラインでこなせる。さらに、オンラインの方が記録を残しやすいという利点を伴っていると私は感じる。そうなると、都会と過疎地の業務上の差はなくなる。私が住む静岡県の川勝知事は (京都府出身:私の従兄弟と同窓)、リニア新幹線問題に区切りが付いたので辞職するという。ここまで来たので、私は開通を望んではいるが、東京−名古屋−大阪間を短時間で移動しなければならない職種は、限られているように思える。
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